暴走列車を己の体で止めた伝説のクリスチャン鉄道員…塩狩峠列車事故(1/2)

塩狩峠 長野政雄 三浦綾子 列車事故

画像:塩狩峠

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塩狩(しおかり)峠の列車事故を聞いたことがあるでしょうか?

鉄道の歴史の中で、日本は悲惨な列車事故を幾つも体験してきました。その中で、鉄道員自らの命をもって暴走列車を止める、という今でも語り継がれる伝説の事故があります。小説家の三浦綾子の『塩狩峠』はこの実話を題材にした作品で、映画化もされています。
 
画像:塩狩峠

塩狩峠は北海道にあります。時は1909年(明治42年)2月28日、鉄道職員の長野政雄(ながおまさお)は、客として名寄(なよろ)駅で列車に乗り、旭川へと向かいました。彼を載せた列車が急勾配の塩狩峠を登っているとき、事故がおきました。

客車をつなげる連結器が外れて最後尾の客車が峠を下り始めてしまったのです。動力を失った客車はどんどん勢いを増しながら峠を下っていきます。このままではカーブを曲がりきれずに脱線し、大惨事になることは誰の目にも明らかでした。ここで、長野政雄は乗客を助けるべく、とんでもない行動にでるのです…。

長野政雄の生き様

画像:塩狩峠のページ

長野政雄は鉄道の庶務主任として働いていました。その一方で、彼は熱心にキリスト教を信仰していました。収入は比較的多かったにもかかわらず、生活は質素を保ち、母への仕送りや教会への献金に当てていました。特に、教会への献金額は多額だったと言われています。キリストの教えに従い、彼は無償の愛を人々に与え続ける人生を選んだのです。

彼は常日頃、自身の遺書を携帯していました。常に死を意識し、日々の生活を充実なものにし、いつ何時でも後悔なくその生涯を閉じる、長野はこのような人生観を持ち、後悔の無いよう、常に遺書を携帯していたのです。

事故の日

事故の起こる1909年(明治42年)2月28日、彼はいつものように、協会へ向かうために旭川行きの列車に乗りました。そして、列車が塩狩峠を登っている最中、連結器が外れ客車が急勾配の峠を下ってしまいます。

長野政雄は日頃の死への意識のせいか、冷静でした。客車のデッキにハンドブレーキがあるのを素早く見つけ、それでブレーキをかけました。しかしブレーキの力が足りず、列車は完全に止まらない。そればかりか、またいつ暴走しだすか分からない不安定な状態です。

彼は一瞬、乗客の方を振り向き、別れを告げるように頷いた、との目撃証言が残っています。次の瞬間、「ゴトッ」と鈍い音とともに列車が完全に停車しました。乗客が車外に出てみると、そこには無残な姿の長野の遺体がありました。己の命を犠牲にした長野に涙しない乗客はいませんでした。

そして、ちょうどこの事故のあった時分、教会で不思議なことが起こっていました。
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