マリー・アントワネットとマリリン・モンローが愛したホープダイヤモンドとは!?(1/2)

ホープダイヤモンド マリリン・モンロー マリー・アントワネット

画像:Terri Daugherty on flickr

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眩い輝きを放つダイヤモンドに魅了される人は後を絶ちません。不純物の少なく質量の大きいダイヤモンドは特に人気で、時の権力者や支配者はこぞって収集したそうです。

アメリカのスミソニアン博物館に収蔵されているホープダイヤモンドも多くの所有者の手に渡った経緯があります。45カラットのホープダイヤモンドは推定2億ドル以上の価値があると言われています。

これほど大きく質の高いダイヤは滅多にないことから歴史上の名士たちもホープダイヤモンドを手に入れるため奮闘しました。しかし、ホープダイヤモンドを手にすることは名誉であると同時に不幸も背負わなければなりませんでした。

手に入れたものは謎の死、処刑、破産など呪いとしか言えない悲惨な目に会います。ホープダイヤモンドは呪われたダイヤと呼ばれるようになり、いつしか「所有者が不幸になる」というアメリカで有名な都市伝説にまでなりました。

犠牲者の中にはフランス革命で処刑されたマリー・アントワネットと若くして亡くなったアメリカの女優マリリン・モンローもいました。​

ダイヤの呪い

9世紀のインド南部のデカン高原のある町で川の中を農夫が発見したとされ、17世紀までその詳細は不明のままでした。1660年にフランスの探検家であり宝石商人であるジャン・バティスト・ダベルニエによってホープダイヤモンドの呪いがはじまります。

ダベルニエはインドを旅していた時にある寺院を訪れます。そこでラマ・シータ(ヒンドゥー教で大地の神の娘)の女神像の額に輝く青い宝石に魅了されたダベルニエはあろうことか宝石だけを盗み取ってしまうのです。この宝石がホープダイヤモンドでした。

ホープダイヤモンドを盗み取られたことを知った寺院の僧侶は呪いをかけます。これが不幸の連鎖の始まりでした。一説には盗み取ったベルニエはその後のロシアでの探索中にオオカミに襲われ、無惨な最期を迎えたと言われています。

自業自得ではありますがこれがホープダイヤモンドの呪いの最初の犠牲者です。

所有者の不幸

フランスに持ち帰られたホープダイヤモンドはフランスのルイ14世の手に渡ります。ルイ14世はホープダイヤモンドを気に入り、「フランスの青」と呼ばれ、儀典用スカーフに付けられます。

しかし、ホープダイヤモンドの呪いはフランス王家を襲います。ルイ14世の子供たちはほとんど幼い時期に死を迎え、孫であるブルゴーニュ公ルイも天然痘で29歳の若さで亡くなります。そしてルイ14世も病死で亡くなります。

その後もフランス王家に不幸は続きます。ルイ15世は王妃マリー・レクザンスカの間に10人以上の子供を儲けます。しかし、その子供たちの中には生涯独身者や若くして亡くなった者たちで溢れています。中には死産した子供もいます。

そしてルイ16世と妻マリー・アントワネットにホープダイヤモンドの呪いが襲いかかります。

1787年からはじまるフランス革命によって2人は処刑されます。実は贅沢好きのマリー・アントワネットはホープダイヤモンドを好んで身に着けていたと言われています。ダイヤの呪いによってマリー・アントワネットは死を招いたのかもしれません。

ちなみにマリー・アントワネットと仲の良かったランバル公妃はダイヤを度々借りていたそうです。そんなランバル公妃もフランス革命で惨殺されます。

フランス革命の混乱期にホープダイヤモンドは盗難に遭います。その後、ヨーロッパの商人の手から手へと渡りイギリスで発見されるのです。

ホープダイヤモンドはオークションに出品されます。落札したのが当時の有名銀行家ヘンリー・ホープです。この時の所有者の名前から青いダイヤは「ホープダイヤモンド」と呼ばれるようになります。

ホープが所有者となってから経営する銀行の業績は落ち込みます。ホープの死後には銀行は倒産するという悲劇に見舞われます。ホープダイヤモンドは所有者をことごとく不幸へと導いていくのです。
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