死の連鎖は続くのか!『ツタンカーメンの呪い』に隠された陰謀説(1/2)

ツタンカーメンの呪い 都市伝説 エジプト ツタンカーメン 発掘調査

画像:Lucas on flickr

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20世紀最大の発見のひとつに、紀元前14世紀頃の古代エジプトを支配していた王(ファラオ)の墓の発見があります。王の名は、19歳の若さでこの世を去ったといわれるツタンカーメンです。1922年にハワード・カーター率いる発掘調査隊によって墓は発見されます。

ツタンカーメンの墓を巡ってある都市伝説が囁かれているのをご存知でしょうか。それが、『ツタンカーメンの呪い』(あるいは、王家の呪い)です。発掘調査に携わった人々が次々に謎の死を遂げ、約20名以上が亡くなったといわれています。

発掘調査隊はツタンカーメンの墓を暴いた罰として呪い殺されたのではないか、と言われる都市伝説です。しかし、そこにはある陰謀が潜んでいたのです。今回は、ツタンカーメンの呪いに隠された真実を紹介していきます。

ツタンカーメンの墓

1922年、イギリスの考古学者ハワード・カーター率いる遺跡調査隊は、古代エジプトのナイル川西岸「王家の谷」でツタンカーメンの墓を発掘します。これが世紀の大発見となり、カーター氏と発掘調査に携わった人々は世界的な名誉を受けます。

カーター氏は、考古学の世界ではあまり知られていない無名の考古学者でした。そのため、遺跡の調査や発掘作業に困難が続きました。彼が一番苦労したのが調査費用の捻出でした。発掘調査には莫大な費用が掛かります。この問題に当時のイギリス貴族カーナヴォン卿に援助を求めました。

カーナヴォン卿は、アマチュア考古学者でもあり、政治家でした。熱狂的なエジプト考古学マニアであることからツタンカーメンの墓の発掘調査に興味を抱きます。カーター氏と意気投合したカーナヴォン卿は、資金の提供を快諾しました。

1915年に王家の谷での発掘調査が開始されますが、思うように調査は進みません。調査は長年続いたため、カーナヴォン卿の資金も底を突くまでになります。調査の中止も囁かれた1922年に念願だったツタンカーメンの墓の発掘に成功します。
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