生きては帰れないカンボジアの収容所!無限の殺戮『S21』(1/2)

カンボジア S21 収容所 クメール・ルージュ トゥール・スレン虐殺犯罪博物館

画像:Marcela Tokatjian on flickr

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かつてのカンボジアの悲惨な現状を今に伝えるトゥール・スレン虐殺博物館。現在は博物館ですが、その昔は収容所でした。1975年に、カンボジア全土を支配したカンプチア共産党(クメール・ルージュ)が、政治犯を拷問するために設置した収容所です。

クメール・ルージュは、長期化したベトナム戦争終結後に誕生した政治勢力です。首相に就任したポル・ポト氏は、弱い立場の国民に食糧生産を強制させ、強引な政策を断行しました。

抵抗する国民は、ことごとく処刑されていきます。特に危険な政治犯は、S21(トゥール・スレン)に収容されていきます。

今回は、カンボジアの暗黒時代を代表するS21を紹介します。

S21(トゥール・スレン)

S21(トゥール・スレン)は、当時の政治犯専門の収容所の暗号名です。収容された政治犯は残虐な拷問を受け、ほとんどの人間はそこで息絶えました。約3年間で収容された人間は1万4千人から2万人とされ、その内、生還できたのは数えるほどしかいませんでした。

カンボジアの首都プノンペンから南方に位置した場所にS21は存在します。S21は、元もと学校の建物でしたが、クメール・ルージュ統治時代に収容所施設へと転用されます。子供たちの学び舎は、たちまち生きて帰れぬ収容所へと変貌を遂げたのです。

ここで政治犯たちは日々残虐な拷問を受けることになります。

拷問は暴力や拘束など人道に反するものでした。S21の看守たちは、収容された囚人に対して、無理やり自白させられます。政権側が納得する嘘を強制させたため、囚人の有罪は避けられませんでした。そして、嘘の供述をしても解放されることはなく、囚人たちは、拷問により殺され、学校跡の校庭に埋められたのです。
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