石川五右衛門はアサシン!?盗賊の真の目的とは!(1/2)

石川五右衛門 豊臣秀吉 盗賊 暗殺

画像:Rachel Kramer on flickr

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豊臣秀吉が政治の実権を握っていた頃の安土桃山時代。都で名を轟かせていた石川五右衛門という盗賊の首長がいました。石川五右衛門は、天下の大泥棒として有名ですが、彼にまつわる史料は非常に少なく、一部では後世の創作だと考えられてきました。

石川五右衛門が広く大衆に知られるようになったのは、江戸時代の歌舞伎や浄瑠璃の演題として扱われ出してからです。歌舞伎の『楼門五三桐』(さんもんごさんのきり)の、派手ないで立ち姿で「絶景かな、絶景かな」と叫ぶセリフと共に見得を切る場面は、江戸の聴衆たちを沸かせ、一気に人気演題となりました。

実在した五右衛門

これらの石川五右衛門の立ち振る舞いは、創作の範疇であると考えられてきました。史料は少ないようですが、石川五右衛門の記録は残されています。江戸時代初期、貿易商の関係から長崎に在住していたスペイン人のベルナルディーノ氏は、『日本王国記』なる書物を書き残していました。その中に、石川五右衛門の名が記載されていました。

石川五右衛門の実在が露わとなりましたが、その内容は京都の三条河原で、生きたまま油で釜茹でされた処刑場面を記していました。盗賊団は京都の都を荒らしまわった罪として、10人以上の盗賊団員が捕縛された後、同じく処刑されたとあります。

また戦国時代の公家や豊臣秀吉に関する記録書の中に、石川五右衛門の名が記載されています。石川五右衛門は創作ではなく、実在した大泥棒だということは間違いないようです。
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