石川五右衛門はアサシン!?盗賊の真の目的とは!(2/2)

石川五右衛門 豊臣秀吉 盗賊 暗殺

画像:Rachel Kramer on flickr

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秀吉暗殺

伝説上あるいは創作の中の石川五右衛門の人物像を一部紹介すると、彼は百地三太夫(ももちさんだゆう)なる忍者から伊賀流忍術を学んだが、師の妻を寝取り、またその妾を殺したという伝説が残されています。師の妻と駆け落ちし、盗賊になったともいわれます。

その他にも、石川五右衛門は盗賊団を結成して京都の町を荒らしまわりますが、一部では義賊という話もあります。豊臣政権では嫌われていたものの、大衆には支持されたそうです。秀吉が石川五右衛門を本格的に捕縛に取り組んだのは、暗殺の危険があったからとされます。

石川五右衛門を、釜茹という残忍な方法で処刑した理由も、大衆に対する見せしめであり、自身の権力を誇示するためだったともいわれます。

処刑された石川五右衛門は、京都の大雲院(銀閣寺)に眠っています。処刑前に市中を引き回された際に、当時の住職が引導を渡した縁といわれます。

石川五右衛門は、盗賊でありながら大衆に人気があったことは間違いないでしょう。悲惨な最期ではありましたが、その豪快な生き方に共感する江戸の庶民たちは多かったのかもしれません。
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