平将門の首塚に隠された歴史の真実とは?

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画像: Jnzl's Photos on flickr
日本の三大怨霊の一つ「平将門の首塚」。

東京の千代田区にこの首塚と平将門を供養する神田神社がある。首塚と言えば、「祟り」や「怨念」のイメージも強く、「首塚の取り壊しを計画すると関係者に不幸や不運な事故が起こる」といった噂で恐れられてきた。

その一方で、平将門を優れた武将として崇める一面もある。武運などの勝負運向上を祈願する参拝者は後を絶たない。日本人は、「恐怖」と「崇敬」を平将門に対して同時に抱いているようだ。

実は、平将門は時代と共に評価が変わる特異な人物でもある。朝敵となったり、首が空を飛ぶといった悪いイメージを残す伝承から、戦後は英雄視されるという様々な時期があった。

平将門は朝敵

平安時代後期、平将門の祖父は、上総国(現在の千葉県周辺)の国司だった。国司とは、朝廷から諸国に赴任を命じられた行政に携わる立派な人物だ。

この頃の国司はあまり優秀ではなかったために、治安の悪化を防ぐ方法として武士団が形成された。やがて、領土の相続争いから将門は叔父を殺害し、武士団の勢力も関東全域にまで拡大していった。

これは朝廷側から見れば明らかに謀反となる。将門は朝敵となって討たれ、将門の首は平安京(京都)に運ばれ、河原に晒されることとなったのだ。

首が空を飛んだ!

京都に運ばれた将門の首が東京で祀られるのは疑問に思う人もいるだろう。一説には、晒された首は3日後に夜空を舞い上がったという伝承がある。

故郷である関東に向かって飛んで行き、数か所に落ちたとされる。その最も有名な場所が、東京千代田区の首塚だ。

江戸時代、この場所は霊地とされ、不敬な行為に対して祟りがあると恐れられてきた。庶民にとっては悪から身を守ってくれる場所として慕われてきた。

しかし、時代は天皇を中心とする明治へと移り変わると、将門の評価は、天皇に背いた逆賊として認知されるようになる。またしても将門の評価は一変するのだ。

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