【都市伝説】新説・真田幸村に生存説あり!!

都市伝説 歴史
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2017/01/06
都市伝説
1615年の大阪夏の陣に敗れた真田幸村(信繁)が九州地方に逃げ込み、密かに生き延びていた伝説をご存知でしょうか。

真田幸村が大坂夏の陣で打ち取られず、「薩摩(鹿児島)に逃げた」と江戸時代後期の書物に残されています。

それを裏付けるように九州地方には真田幸村が大坂夏の陣の後も存在していたかのような伝承が多く残されています。そして、驚くべきは真田幸村と思われる墓までが現存している事実です。

今回は、九州地方に伝わる大坂夏の陣の後に伝えられる真田幸村伝説を追っていきたいと思います。
 

鹿児島生存説

大坂の陣は江戸幕府と豊臣家・豊臣秀頼との間で行われ合戦です。真田幸村は豊臣方に味方して幕府と戦いますが、大阪夏の陣で豊臣家と共に敗れます。史実では真田幸村は、神社の境内で休んでいたところを敵方に見つかり打ち取られたと伝えられています。

ここで注目すべきは、真田幸村と豊臣秀頼の死体が見つかっていない点です。豊臣秀頼は燃え上がる大阪城内で自害したと伝えられ遺体は確認されていません。

また真田幸村も多くの影武者を使って自身の存在を隠していたという話もあり、今でも討ち取ったのが本当に真田幸村なのか確証がないほどです。

真田幸村と豊臣秀頼が生きているかのように大坂夏の陣の直後から京都・大阪で童謡が歌われ始めます。

「花のようなる秀頼様を鬼のようなる真田が連れて退きも退いたり加護島へ(鹿児島)」
 
出典:generale on flickr

秀頼を連れて真田が鹿児島に逃げた、と人々は歌にして噂しました。

では誰が真田幸村と豊臣秀頼を逃がす手助けをしたのでしょうか。それは薩摩の武将・島津義弘と言われています。

鹿児島県の南部地域の伝承によれば、秀頼に恩があって救出を手助けした島津義弘は、軍船に乗せて薩摩まで案内してその後の世話もしたと言われています。

また薩摩には真田幸村生存説を裏付けるような書物もあり、芦澤左衛門と名乗る八百屋から真田幸村の武具や刀が発見された、という記録も残されています。当時の人々からも真田幸村ではないかと噂されるも決して正体を現さなかったようです。

その後、真田幸村は村の女性と一緒になり一女を授かった後に度重なる心労が原因とされ病死します。

真田幸村の子供は他所へ嫁ぎ行方は分からなくなりましたが、一説には真田幸村の子孫は、姓を与えられた際に真田姓にあやかり「真江田」と称したと言われています。そのためか鹿児島に真田幸村の子孫とされる真江田家の墓には真田家の家紋「六文銭」が刻まれているというのです。

真田幸村には伝説も多くある学者は薩摩で病死せずに旅を続け、東北へと上り生涯を閉じたと説いています。秋田県にも真田幸村の墓と伝えられる場所があります。

いずれにしてもこれほどまで生存説の多い武士は他にはいません。戦には負けましたが真田幸村は、生きていてほしい、と願われるほど人々に愛された稀有な武将と言えるのではないでしょうか。

​参考サイト:
日本の都市伝説&怖い話
真田氏の館三代録