【世界の都市伝説】死の連鎖は続くのか!?『ツタンカーメンの呪い』

ツタンカーメン エジプト ハワード・カーター ツタンカーメンの呪い カーナヴォン卿
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2018/01/31
都市伝説
20世紀最大の発見のひとつに、紀元前14世紀頃の古代エジプトを支配していた王(ファラオ)の墓の発見があります。王の名は、19歳の若さでこの世を去ったといわれるツタンカーメンです。1922年にハワード・カーター率いる発掘調査隊によって墓は発見されます。

ツタンカーメンの墓を巡ってある都市伝説が囁かれているのをご存知でしょうか。それが、『ツタンカーメンの呪い』(あるいは、王家の呪い)です。発掘調査に携わった人々が次々に謎の死を遂げ、約20名以上が亡くなったといわれています。

発掘調査隊はツタンカーメンの墓を暴いた罰として呪い殺されたのではないか、と言われる都市伝説です。しかし、そこにはある陰謀が潜んでいたのです。今回は、ツタンカーメンの呪いに隠された真実を紹介していきます。

ツタンカーメンの墓

1922年、イギリスの考古学者ハワード・カーター率いる遺跡調査隊は、古代エジプトのナイル川西岸「王家の谷」でツタンカーメンの墓を発掘します。これが世紀の大発見となり、カーター氏と発掘調査に携わった人々は世界的な名誉を受けます。

カーター氏は、考古学の世界ではあまり知られていない無名の考古学者でした。そのため、遺跡の調査や発掘作業に困難が続きました。彼が一番苦労したのが調査費用の捻出でした。発掘調査には莫大な費用が掛かります。この問題に当時のイギリス貴族カーナヴォン卿に援助を求めました。

カーナヴォン卿は、アマチュア考古学者でもあり、政治家でした。熱狂的なエジプト考古学マニアであることからツタンカーメンの墓の発掘調査に興味を抱きます。カーター氏と意気投合したカーナヴォン卿は、資金の提供を快諾しました。

1915年に王家の谷での発掘調査が開始されますが、思うように調査は進みません。調査は長年続いたため、カーナヴォン卿の資金も底を突くまでになります。調査の中止も囁かれた1922年に念願だったツタンカーメンの墓の発掘に成功します。

ツタンカーメンの呪い

ツタンカーメンの墓は、3000年以上が経過しているにもかかわらず、ツタンカーメンのミイラから装飾品までほとんどが盗掘されないまま残されていました。またミイラを覆う金のマスクから数々の副葬品(遺骨に添えて埋葬された品々)も無傷なことに世間を驚かせました。

カーター氏と調査隊は、ツタンカーメンの墓の発掘により、世界的に有名になります。また資金提供したカーナヴォン卿も一躍脚光を浴びることになります。しかし、この数か月後にツタンカーメンの呪いが彼らを襲います。

最初の犠牲者は、資金提供に協力したカーナヴォン卿です。発掘調査を終えた翌年4月に原因不明の高熱で急死します。この急死に世間は騒然とします。これがツタンカーメンの呪いのはじまりでした。

その後、ツタンカーメンの発掘調査隊の関係者が次々と急死するという騒動が発生します。ツタンカーメンの墓の開封に立ち会った者たちからミイラの検査を行った者たちまで被害は及びました。

関係者は、まるでツタンカーメンの墓を暴いた罰として呪い殺されるように突然死を迎えます。その数は、1930年までに20名以上といわれています。そして、その中には、発掘調査隊の責任者でもあるカーター氏の名も挙げられました。

呪いの正体として考えられたのは、墓の内部に致死性の高いカビが意図的に配置されていたという説や発酵した有毒ガスが充満していたという説です。これは古代エジプト時代でも問題になっていた王家の墓荒らしの盗掘を防ぐための罠が仕込まれていたという考えからでした。

新聞社は、関係者の相次ぐ急死をツタンカーメンの呪いとして大々的に報じます。しかし、この呪いの騒動には、あるカラクリと信じがたい陰謀が隠されていたのです。

真相

実は、最初のカーナヴォン卿の急死以外はすべて不正確なもので、真実ではありません。発掘調査隊の責任者でもあるカーター氏も呪い殺されていませんでした。この騒動は、ある陰謀と偶然が重って起こりました。

カーナヴォン卿は、発掘調査を終えた約半年以内に急死します。カーナヴォン卿の死は、静養中に蚊に刺された頬にうっかり髭剃りで傷つけ、そこから菌血症を患い、肺炎を惹き起こしたのが原因でした。元もと虚弱体質だった彼は、呪いや有毒ガスなどで死んだのではありません。

しかし、世紀の大発見からの早すぎる死に世間は騒然とします。それに目を付けた新聞社が、カーナヴォン卿の急死を大々的に報道します。その後に続くとされる発掘調査隊や関係者の相次ぐ死はありませんでした。あのカーター氏も実は死んではいなかったのです。

カーター氏の死は発掘調査隊の責任者ということで、世間に衝撃を与えました。しかし、死んだのはカーター氏の同姓同名のまったく関係のない人物でした。カーター氏は健康に暮らし、遺跡発掘調査後の17年後に64歳の高齢でこの世を去ります。呪いなどはじめからありませんでした。

ツタンカーメンの呪いの騒動のキッカケは、墓の発掘を報道したタイムズ紙が原因のひとつとされています。英国の権威あるタイムズ紙は、ツタンカーメンの墓の記事を独占したのです。これで他の新聞社は乗り遅れる形となります。

世紀の大発見を独占したタイムズ紙に他の新聞社は反発します。そこで、世紀の大発見記事に泥を塗ろうとして、ありもしない「ツタンカーメンの呪い」を企てたのです。少しでも発掘調査に関係する人物の死を呪い殺されたと報道します。

つまり、ツタンカーメンの呪いは、新聞社同士の妬みが原因だったのです。

カーター氏は誤報記事の訂正を求め、まもなく訂正記事が載りますが、時すでに遅く、世間ではツタンカーメンの呪いが広まった後でした。実際に発掘調査に携わった者たちは、高齢で亡くなり、呪いとは関係なく余生を過ごしたと言われています。

まとめ

ツタンカーメンの呪いが生まれた背景には、新聞社同士のいがみ合いだけでなく、考古学者カーター氏に対する妬みも含まれていたとも考えられます。

カーター氏は、考古学の世界ではまったくの無名であり、コネも人望もありませんでした。ツタンカーメンの墓を発掘するという世紀の大発見を妬む者が、考古学の世界にいないとは限りません。彼らが共謀してカーター氏の名誉を失墜させようとしたという考えもなくはないのです。

一番怖いのは、有毒ガスでも呪いでもなく、生きた人間同士の嫉妬かもしれません。