聖徳太子は21世紀末の日本を予言していた!謎の未来記とは!?

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2018/03/30
都市伝説
かつて日本の紙幣の肖像画にもなった聖徳太子。飛鳥時代の皇族でもあり、政治家でもあった聖徳太子には様々な伝説と逸話があります。聖徳太子は、十七条憲法を制定したり、冠位十二階という階級を定めるなど、日本の新しい形を作った人物です。

有名な幼少期の逸話としては、10人の話を同時に聞き分け、すべての発言を聞き取り、明確な答えを返したと言われています。その真偽はわかりませんが、それほど聖徳太子という人物は神秘的な存在だったのでしょう。

そんな聖徳太子が、日本の生末を案じて残したものがあります。それが『未来記』と『未然本紀』(みぜんほんぎ)の予言書です。この2冊には、聖徳太子の時代では到底わからないはずの未来の日本の歴史的事件が書かれていると伝えられています。そこには21世紀を生きる我々にも関係する内容が書かれていたのです。

今回は、謎多き聖徳太子が残したとされる『未来記』と『未然本紀』の予言について紹介します。

予言書は当たってる!?

聖徳太子が残したとされる『未来記』と『未然本紀』は2冊で一対となります。『未来記』は残念ながら現存していませんが、それを基にして書かれた『未然本紀』の写本から予言がわかります。

聖徳太子は574年から622年の飛鳥時代に活躍した政治家です。幼少期の逸話の話からも不思議な力が備わっていたことがわかります。彼にしかわからない予知能力があっても不思議はありません。

予言書を見たという人物に鎌倉時代末期に活躍した武将、楠木正成(くすのきまさしげ)がいます。そこには、鎌倉幕府の倒幕、蒙古襲来などが書かれていたようなのです。楠木正成はこの予言書に従って自身の進退を決めたとも言われています。

そればかりではありません。この予言書には、日本の歴史の転換期にもなった江戸時代から近代へと移る過程も予言されていたのです。一部抜粋して紹介します。

・私の死後二百年以内に、一人の聖皇がここに都を作る
・そこはかつてない壮麗な都になり戦乱を十回浴びても、それを越えて栄え、千年の間都として栄える
・しかし一千年の時が満ちれば、黒龍が来るため、都は東に移される

聖徳太子が亡くなった後に、京都で平安京が794年に開かれます。予言通りに200年以内に巨大都市が建設されました。さらにその1000年後の江戸時代末期には黒船が来航し、時代は明治へと移り変わります。予言にあった黒龍とはペリーの黒船とも言い換えられるのではないでしょうか。

そして、都は京都から東京へ移されます。江戸末期まで天皇家は京都におりました。明治時代に入ってから住まいを東京に移されたことから日本の中心(都)は東京となったのです。これを考慮すれば、予言通りと言えるのではないでしょうか。

21世紀の予言

予言書には21世紀になった後も続きます。

・都は東に移され、それから二百年過ぎた頃、クハンダが来る
・東の都は親と七人の子供のように分かれるだろう

日本の首都「東京」ができたのは1868年です。その200年後は2068年となります。そして、謎の言葉「クハンダ」が何であるかは今のところ分かっていません。一説には、インドの神話に登場する「鳩槃荼」(くばんだ)ともいわれています。人の睡眠を妨げるほどの災難を引き起こす鬼とも言われています。

日本の歴史の転換期を予言することから災難とは、大きな隕石の落下や自然災害とも考えられるのではないでしょうか。「親と七人の子供のように分かれる」という予言から日本の分断を意味しているようにも思われます。

日本は、北海道地方、東北地方、中部地方関西地方、中国地方、四国地方、九州・沖縄地方の7つ(の子供)と、関東地方(親)に分けられます。何だかの災難によって日本列島が分断され、それぞれが独立した国になると予言しているのではないでしょうか。

考えられる災難とは、隕石の落下など、これまで人類が経験したことのない災難かもしれません。

もちろん、聖徳太子の予言は都市伝説であり、『未来記』も『未然本紀』も聖徳太子のものではないといわれています。しかし、ここまで日本の歴史を予言していることから侮ってはいけないのではないでしょうか。

参考サイト:
スピリチュアブレス