ルーブル美術館を行進する亡霊!?フランス革命の悲劇

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怪談
画像: edwin.11 on flickr
パリのルーブル美術館は、パリ中心部のセーヌ川の端に位置し、フランスを代表する建造物です。フランスの芸術作品が数多く収容されているため、毎年多くの観光客で賑わいます。しかし、この場所が血塗られた悲劇の現場であることを知る者は少ないのではないでしょうか。

ここはフランス革命期にフランス王家を守ろうと必死に戦った兵士たちが、無惨に殺された現場でもあります。そのため、ルーブル美術館の近辺では、多くの命を落とした兵士たちの幽霊が、今も毎夜行進し続けているという都市伝説が実しやかに囁かれているのです。

今回は、芸術の都パリの知られざる一面を紹介します。

ルーブル美術館

フランスの芸術を象徴するルーブル美術館。世界最大の美術館とも言われ、約7万平方メートルを超える敷地面積に、収蔵されている美術品は、35万点以上に及びます。その中には『ミロのヴィーナス』の彫刻やレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた『モナ・リザ』などが展示されています。

ルーブル美術館は、中世時代にルーブル宮殿として建設され、歴代のフランス王家の王宮として使用されます。17世紀に時の権力者ルイ14世がヴェルサイユ宮殿へと移り住んだことで、政府機関の施設に代わり、併せてルーブル宮殿内に美術品の展示と絵画彫刻のアカデミーが創設されます。

その約100年後のフランス革命により、パリおよびルーブル宮殿は激動の時代へと突入していきます。正式にルーブル美術館が開館したのは1793年。フランス革命の最中でした。

8月10日事件

1789年からはじまったフランス革命は、貧しい暮らしを強いられていたフランス市民の怒りから起こった市民革命です。革命期の1792年8月10日に、ルイ16世とマリー・アントワネットらフランス王家は捕らえられます。これを8月10日事件と言います。

8月10日事件は、テュイルリー宮殿に身柄を守るため逃げ込んだフランス王家を、民衆が襲撃した事件です。テュイルリー宮殿は、ルーブル宮殿の西側に500メートルしか離れておらず、かつてフランス王家が居住していた宮殿でもありました。

ルイ16世およびフランス王家は、暴徒と化したフランス市民の追撃から逃れるため、ヴェルサイユ宮殿からテュイルリー宮殿に移ります。宮殿はスイスからの傭兵たち(雇われ兵士)が守っていました。わずか1000人にも満たない傭兵でしたが、王家への高い忠誠心と充実した武器で民衆たちに立ち向かいます。

しかし、1万人以上ともされる民衆の圧倒的な数の前に、傭兵たちは歯が立ちませんでした。パリのテュイルリー宮殿の周辺は、死体の山に覆われます。宮殿を捨て、逃避する判断がルイ16世に求められましたが、家族と離れることを恐れ、反対します。ルイ16世の動揺は傭兵たちにも伝わり、士気は下がっていきました。

そして遂に、民衆は宮殿の中へと流れ込み、傭兵たちを次々に虐殺していきます。それはほぼ無抵抗な傭兵たちを銃剣で切り刻み、こん棒で容赦なく殴り続けたようで、宮殿内や外の庭園などは、血に染まったとも伝わります。殺すか殺されるかの極限状態では、冷静な判断は無意味だったようです。

8月10日事件で、ルイ16世やマリーアントワネット、そしてフランス王家はパリの修道院タンプル塔に幽閉されます。そして、翌年の1793年にルイ16世とマリーアントワネットのギロチンによる処刑が執行されたのです。

進行する傭兵の幽霊

フランス革命後、テュイルリー宮殿はフランス王家の遺物として撤去されます。跡地にはカルーゼル広場が設けられ、現在ではルーヴル美術館の中庭に設置されています。

カルーゼル広場では、その時に無惨に死んだ傭兵たちの亡霊が夜になると連隊を作って行進しているといわれています。実際に目撃した者の証言では、傭兵たちは皆血みどろで、時代に合わない服装をしているようです。都市伝説では、彼らは革命に参加した市民を恨み、彼らを殺した市民の子孫たちを待ち構えているのではないかとも言われています。

亡霊たちは、今もフランス王家に仕えながら、この世を彷徨っているのかもしれません。

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