禁酒法時代に暴れまくった強盗カップル!!ボニーとクライド

映画 俺たちに明日はない 禁酒法 強盗 カップル
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トリビア
画像: Todd Kopriva on flickr
アメリカではアルコールの製造販売を法律として禁止した時代があります。世に言う禁酒法です。当時のアメリカで、アルコールの乱用は社会的に受け入れがたい飲み物でした。また世界恐慌の煽りもあって人々の心は荒み、犯罪が横行していました。

この時代に代表されるギャングが、ボニーとクライドの強盗カップルです。アメリカ南西部を中心にカフェや銀行に押し入って強盗を繰り返し、時には殺人も犯しました。彼らの行為はれっきとした犯罪であり、地元警察の悩みの種でした。

しかし、一部のアメリカ人達からは英雄視する声も高く、強盗団の載った新聞記事は飛ぶように売れていきました。彼らがアメリカ国民を熱狂させたのは、不遇の時代に盾突く精神と、弱い者を傷つけない姿勢にありました。

今回は、アメリカ犯罪史上で語り継がれるボニーとクライドの強盗団カップルを紹介します。

ボニーとクライド

ボニー・パーカー(1910年)とクライド・バロウ(1909年)は、同じテキサス州に生まれます。

ボニー・パーカーは両親と兄妹の5人家族でしたが、父親を早くに亡くして苦労します。母親思いの彼女は母親を楽させるために16歳で結婚します。しかし、夫は銀行強盗を犯して刑務所に入り、カフェで働くなどして生計を立てていました。

クライド・バロウは、貧しい農家の8人兄弟で育ちます。17歳でギャングの仲間入りし、強盗を犯して逮捕されるなど荒んだ日々を送っていました。

2人は偶然の出会いからお互いに一目ぼれし、行動を共に行うようになっていきました。はじめ、クライドは別件で逮捕されますが、釈放されるとボニーのもとに戻り、2人は強盗や殺人を中心に犯罪を行っていきます。他の仲間にクラウドの兄とその嫁が加わり、「バロウ・ギャング」と名乗るようになります。

反抗した義賊

バロウ・ギャングはいくらかの人員を入れ替えたり、警察に逮捕される者も出ました。クラウドの兄は警官に射殺され、その嫁も逮捕されます。それでもボニーとクライドは強盗を辞めませんでした。

その多くの犠牲者は金持ちの店の主人や警官たちでした。特に銀行強盗は多かったようです。しかし、強盗の現場に居合わせていた客たちに被害はありませんでした。それどころか紳士的な態度を取り、お客が引き落とした金には手を付けなかったといわれています。

もはやお尋ね者となった2人は、強盗を辞めるわけにはいかなくなるほど有名になります。彼らの犯行に警察は手を焼いていましたが、一部のアメリカ市民は2人の逃亡劇を支持する者まで現れます。警察の調査では、彼らに手を貸した、あるいは助けたという者は23人にも上ったそうです。

支持者たちは、2人の行為が犯罪とわかっていながらも、貧乏人を狙わず、金持ちや権力者から金を巻き上げる姿勢を称賛したのです。2人は世間に反抗する義賊という見方もありました。

しかし、このように彼らの行為は犯罪であり、また犠牲者も出ているため、許されるべきことではありません。2人の犯行年数の約4年間に、13人の商人や警官が犠牲となって亡くなっています。

2人の最期

1934年5月、情報を掴んだ警察は先回りして彼らを囲います。警官隊は無防備な彼らに短機関銃を向けて、150発以上の銃弾を浴びせます。ボニーとクライドは、車で逃亡することはできず、車体を貫通した夥しいほどの数の弾丸を浴びて亡くなります。

ボニーとクライドは不幸な境遇から犯罪に手を染めざる負えませんでした。2人は時代を代表する犯罪者として多くの議論を呼びます。また1967年にはアーサー・ペン監督によって『俺たちに明日はない』というタイトルで映画化もされます。

禁酒法時代に起こった2人の若いは、時代に翻弄された哀しき犯罪者という見方もできますが、それでも罪のない人々を殺め、金を盗み取ったことにかわりはありません。

参考サイト:
殺人博物館

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