新事実か!!石川五右衛門は豊臣秀吉を暗殺しようとした!?

盗賊 石川五右衛門 豊臣秀吉 暗殺 安土桃山時代
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トリビア
画像: Rachel Kramer on flickr
豊臣秀吉が政治の実権を握っていた頃の安土桃山時代。都で名を轟かせていた石川五右衛門という盗賊の首長がいました。石川五右衛門は、天下の大泥棒として有名ですが、彼にまつわる史料は非常に少なく、一部では後世の創作だと考えられてきました。

石川五右衛門が広く大衆に知られるようになったのは、江戸時代の歌舞伎や浄瑠璃の演題として扱われ出してからです。歌舞伎の『楼門五三桐』(さんもんごさんのきり)の、派手ないで立ち姿で「絶景かな、絶景かな」と叫ぶセリフと共に見得を切る場面は、江戸の聴衆たちを沸かせ、一気に人気演題となりました。

実在した五右衛門

これらの石川五右衛門の立ち振る舞いは、創作の範疇であると考えられてきました。史料は少ないようですが、石川五右衛門の記録は残されています。江戸時代初期、貿易商の関係から長崎に在住していたスペイン人のベルナルディーノ氏は、『日本王国記』なる書物を書き残していました。その中に、石川五右衛門の名が記載されていました。

石川五右衛門の実在が露わとなりましたが、その内容は京都の三条河原で、生きたまま油で釜茹でされた処刑場面を記していました。盗賊団は京都の都を荒らしまわった罪として、10人以上の盗賊団員が捕縛された後、同じく処刑されたとあります。

また戦国時代の公家や豊臣秀吉に関する記録書の中に、石川五右衛門の名が記載されています。石川五右衛門は創作ではなく、実在した大泥棒だということは間違いないようです。

秀吉暗殺

伝説上あるいは創作の中の石川五右衛門の人物像を一部紹介すると、彼は百地三太夫(ももちさんだゆう)なる忍者から伊賀流忍術を学んだが、師の妻を寝取り、またその妾を殺したという伝説が残されています。師の妻と駆け落ちし、盗賊になったともいわれます。

その他にも、石川五右衛門は盗賊団を結成して京都の町を荒らしまわりますが、一部では義賊という話もあります。豊臣政権では嫌われていたものの、大衆には支持されたそうです。秀吉が石川五右衛門を本格的に捕縛に取り組んだのは、暗殺の危険があったからとされます。

石川五右衛門を、釜茹という残忍な方法で処刑した理由も、大衆に対する見せしめであり、自身の権力を誇示するためだったともいわれます。

処刑された石川五右衛門は、京都の大雲院(銀閣寺)に眠っています。処刑前に市中を引き回された際に、当時の住職が引導を渡した縁といわれます。

石川五右衛門は、盗賊でありながら大衆に人気があったことは間違いないでしょう。悲惨な最期ではありましたが、その豪快な生き方に共感する江戸の庶民たちは多かったのかもしれません。

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