アメリカ合衆国皇帝ノートン1世!!国民に愛された狂人!?

アメリカ 合衆国皇帝 ノートン1世
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2019/01/30
都市伝説

ジョシュア・ノートン1世

合衆国皇帝ノートン1世の本名は、ジョシュア・エイブラハム・ノートンです。1819年にイングランドで生まれます。彼の出生については謎も多いですが、資産家の家庭で育ち、幼少期に南アフリカで過ごします。

1849年にアメリカに渡米。カリフォルニア州サンフランシスコ市で邸宅を購入し、父親の遺産4万ドルを運用して財を築きます。事業家として成功し、裕福な生活を送っていました。

しかし、ペルー米の投機に失敗し、米商人との裁判でノートンは敗訴します。負債と裁判費用で全資産を失った彼は、遂に破産宣告をします。邸宅も売りすべてを失った彼は、次第に狂いはじめます。

皇帝即位を新聞で発表!!

1859年、サンフランシスコの新聞社が『合衆国皇帝ノートン1世即位』と突然発表します。

破産宣告後ノートンは、自分の失敗は政治体制の欠陥にある、という身勝手な結論を出します。アメリカは移民によって作られた共和制の国であるため、皇帝が存在しません。

彼が思い描いた理想は、絶対君主制の導入でした。つまり、皇帝が絶対的権限を持つ国に変えようとしたのです。そして、自分が皇帝に即位してアメリカを平和な国にしようとしたのです。

いくつかの新聞社に、「合衆国皇帝宣言」なる手紙を送りつけましたが、相手にされませんでした。しかし、サンフランシスコ・コール紙の新聞社1社のみが、ノートンに興味を持ちます。

新聞社はジョークとして、新聞に掲載します。これにサンフランシスコの市民たちは、ノートンの奇抜な発想をおもしろがって受け入れます。これにより、合衆国皇帝ノートン1世が誕生したのです。

誠実な合衆国皇帝

合衆国皇帝ノートン1世がアメリカ国民に受け入れられたのは、その誠実な姿にありました。1860年代頃のアメリカは、貧困の問題が急務でした。しかし、議員たちは汚職にまみれて対策を取りません。

彼は、政治の腐敗から、法律を守らない政治家や財産家たちに、市民が苦しめられていることを嘆きます。そこでノートンは、皇帝として勅令を出します。それは、大統領制と議会制の廃止でした。

この勅令は政治家達に無視されます。しかし、低賃金で働かされ、食うものにも困っていた市民たちはノートンを支持します。彼は、当時のアメリカ議会制、連邦制に疑問を持ち、それを正したかったのです。

有名なエピソードがあります。街を歩いていたノートンは、中国系移民たちが白人たちにリンチされている現場を目撃します。白人たちは、中国系移民に仕事を奪われたことを根に持って暴力を振るっていたのです。

その光景に、ノートンは嘆き、白人たちに抗議します。自称皇帝である彼が、暴力を受けないという保障はありません。また逆にリンチされてもおかしくはない状況でした。

しかし、ノートンの必死の説得により、白人たちはその場を立ち去ります。このエピソードから、彼が誠実な人柄であることがわかると思います。

橋の建設と国際連盟の設立を支持

実は、ノートンの勅令には先見の明があったと言われています。アメリカ市民に支持されても、政治家は彼を無視し続けます。それでも彼は、貧困問題の解決や平和についての勅令を出し続けました。

宗教による紛争を禁じたり、暗い夜道を照らす街灯の設置案を出します。またサンフランシスコの発展を願って、オークランドとサンフランシスコを結ぶ橋の建設を命じたりします。

これらの勅命は無視されるものも多かったですが、実現されたものもあります。オークランドとサンフランシスコを結ぶ橋の建設は、彼の死後50年以上経ってから実現します。

また国際平和と安全の維持を務める国際連合の案などは、すでにノートンの勅命にあったともいわれています。彼は世界平和のため、その先見性は高かったのかもしれません。

国民に愛された狂人

ノートンは1880年の冬の寒い時期に亡くなります。それまでの彼の活躍を知っていた多くの市民は、嘆き悲しみます。

貧しい人や金持ちに限らず、多くのアメリカ国民に愛され、また他国の政治家までもが、彼の死を嘆き悲しんだといいます。葬儀には3万人の参列者が訪れました。

自称・合衆国皇帝を名乗ったノートンは、狂人であるかもしれません。しかし、その誠実で平和を願う優しい人柄から、アメリカ国民に絶大な人気を誇ったのです。

ニューヨーク・タイムズは、彼の追悼記事を載せます。そこには、政治家や他国に対する皮肉が書かれていました。

「彼は誰も殺さず、奪わず、追放しなかった。同じ称号を持つ人物で、この点で彼に立ち勝る者は1人もいない」

参考サイト:
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Jackと英語の木
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